セブ島中が熱狂に包まれる!フィリピン 最大の お祭り シヌログフェスティバル
© CEBU navi SAKURA | vol.19 Jan.-Feb. | 2019
目次
約500年もの長い歴史に裏打ちされた、サント・ニーニョの奇跡と人々の思い。
サント・ニーニョを崇める厚い信仰心と、躍動するダンサーたちの舞、観衆の熱狂…
フィリピン全土が歓喜する、圧巻のお祭りが今年も幕開けです!
国をあげて“奇跡の像” サント・ニーニョをお祝い
今年もいよいよシヌログの季節がやってきました。シヌログフェスティバルとは、幼少イエス・キリストであるサント・ニーニョを祀るお祭りで、約1ヶ月かけて行われるフィリピン最大のイベントです。フィリピン国内だけではなく、国外からも多くの人が集まり、昨年は約200万人が訪れました。
フィリピンを植民地化したスペインはキリスト教を布教させ、その際にサント・ニーニョが伝えられ、セブの人たちからは「奇跡の像」として崇められています。フィリピンの人たちにとって大切な存在であるサント・ニーニョは、お守りとしてレストランや個人宅等いたる所に置いてあり、お祭り当日には自分の自慢のサント・ニーニョを持ってシヌログダンスを踊ります。宗教的な意味合いが大きい行事でしたが、1980年代に入ってからは、セブ市や民間企業のサポートを受けながら大々的に行われるイベントとなりました。
2019年のグランドパレードは 1月20日(日)!
スケジュールの中で、もっとも盛り上がるのが「サント・ニーニョ像行進」と「グランドパレード」です。2019年のグランドパレードは1月20日(日)に、Abellana National High Schoolで開催されます。グランドパレードではフィリピン全土から地区単位や学校単位でダンサーが参加し、お祭りを盛り上げます。各所にセクターが設置され、創造性や正確性、視覚的な訴求性、観衆に与えるインパクトなど厳正な審査が行われます。優勝すれば誇り高き名誉となるため、どのチームも工夫を凝らした完成度の高いパフォーマンスを披露します。パレードには多数のダンスチームが参加しますが、フロートやコスチュームなどは年々ハイレベルになってきており、見応え抜群です!
グランドパレードに向けて、街中もシヌログ一色!至る所にシヌログの広告が貼られ、ショッピングモールではシヌログ祭り専用のブースが作られ、Tシャツや髪飾りが売られます。そしてBGMはシヌログの歌。軽快な音楽とキャッチ―な歌詞は思わず口ずさんでしまいます。
シヌログを 心から楽しむための注意
シヌログを楽しむために注意しておきたいこともあります。シヌログには大変多くの人が集まり、スリなどのトラブルも多発しています。スマートフォンや大きな財布、バッグ、ジュエリーなど高額なものを身に付けるのはやめましょう。特にお金を持っている観光客はターゲットになりやすいので気をつけましょう。持ち歩くお金は最低限にし、大きな紙幣は持たずに予め細かいお金に替えて、分けて持つようにしましょう。
また、伝統的にシヌログでは顔や服などに塗料を塗っている人も多いため、人とすれ違った際に汚されることもあります。汚れてもいい服を着用し、予備のTシャツも持っておくと安心です。また、日中の紫外線対策や、水分補給もこまめに行いましょう。
当日はシヌログフェスティバルにふさわしいカラフルな服を着て、音楽にのせてステップを踏みながら、みんなでお祝いを楽しみましょう!
写真提供:シヌログ実行委員会 Photos:Sinulog Foundation,Inc.
パレードの道順は変更となる可能性がございます。
イベントインフォ:
シヌログフェスティバル
1/6-2/2,2019
グランドパレード
1/20, 2019 [日]
Admission :入場料・参加費不要
Phone : 032-253-3700
Email : khelpepito@gmail.com
約500年前に遡る シヌログの起源
シヌログは、16世紀ごろ、世界一周の途中にセブ島にたどり着いたポストガル人のマゼランが、セブ島の王と女王に「キリスト教」への改修を求めたことから端を発します。1521年、求めに応じて改宗した女王に、マゼランがキリストの子どもの像(サント・ニーニョ)を贈呈しました。すると女王は喜びのあまり舞を踊り始め、その様子を見ていた家臣たちも一斉に踊り始め…このときの舞が、シヌログ独特のお決まりのステップの起源とされており、グランドパレードでダンサーたちが一斉にステップを踏む様は、まるで川の流れのような圧巻の光景となっています。
フィリピンの英雄として愛されている「ラプラプ」の像。ラプラプ市(マクタン島)の名前にもなっている。お刺身で食べられ美味しいと評判の白身の魚にも「ラプラプ」と名付けられている。
フィリピンの英雄 ラプラプの偉業
セブ島の王と女王がキリスト教への改宗を承諾したものの、マクタン島の首長ラプラプは、マゼランの求めに応じませんでした。マゼランは、改宗に応じないラプラプに対し、兵を伴ってマクタン島へと攻め入ります。ラプラプは戦う意思を見せながらも「まだ準備ができていないから、戦いはもう少し待ってくれ」と伝え、わざと相手に隙を見せます。マゼランはラプラプ軍を一気に叩くために進軍。そのときラプラプは1500名もの兵で迎え撃ち、壮絶な戦いを繰り広げた後、マゼランたちを返り討ちにしました。火砲や鎧兜などを持つ武装集団であるマゼラン軍に対し、ほぼ丸腰のラプラプ軍でしたが、ラプラプの頭脳作戦が見事、勝利へと導いたのです(1521年4月27日)。
わずかに残ったマゼラン艦隊はセブ島を後に、スペインへと帰国します。途中でマゼラン自身は命を落としましたが、マゼラン艦隊がこの世で初めて世界一周を成し遂げたことは今も伝説として伝えられています。そして、ラプラプは勇気と知恵を持って、未知の侵略者たちを打ち破った「フィリピンの英雄」となったのです。
教会焼失に合いながらも 無傷で守られてきた “奇跡の像”
1565年、レガスピ(フィリピン初代総督)がメキシコからセブ島へ訪れ、改宗を求めます。しかしマゼランの時とは違い、セブ島の人々はレガスピが求める改宗を信じませんでした。改宗は困難となり、レガスピは村を焼き払うという強硬に打って出ます。このとき、レガスピは焼け焦げた家の中から偶然サント・ニーニョ像を見つけました。マゼランが贈呈して以降、40年もの年月が経ち、さらに炎の中にあったにも関わらずほぼ無傷だったサント・ニーニョ像は、奇跡の像として語り継がれるようになります。その後も、サント・ニーニョ教会は幾度となく焼失しますが、その度にほぼ無傷で見つかってきた像。まさに奇跡としか言いようがない事実です。
そんなサント・ニーニョ像は、2018年の今も教会で見ることができます。スペイン支配、アメリカや日本の支配、第二次世界大戦の戦火を潜り抜けてなお、無傷で守られてきた奇跡の像。この教会と周辺はフィリピンのキリスト教発祥の地として大きな意味を持っているのです。
1521年、マゼランによって建てられたマゼランクロス(十字架)。セブの王と女王、家臣たちが洗礼を受けた場所としても有名。万病に効くとされ、木製で作られた十字架を削り帰る人があとを絶たなかったため、八角堂が設置され保護されるようになった。
サント・ニーニョ像は現在もサント・ニーニョ教会で見ることができる。奇跡の像を一目見ようと、フィリピン国内から多くの信者が絶え間なく訪れる。
マゼランが1521年に残し、レガスピが1565年に発見したサントニーニョ像。マゼランがもたらしてからおよそ500年。今もなお、たくさんの信者がその姿を見ようと列をなす。中には涙するほど信心深い人もいる。セブアノの長い歴史を感じられる貴重な場所の一つである。
ミサが執り行われるサントニーニョ教会の会場。たくさんの信者のために広い場所が用意され、シヌログシーズンはもちろん、1年を通してこの場所でミサが執り行われている。
欧米、中華、そして 東南アジアの多様な文化
およそ500年もの永き歴史が積み重なったシヌログ。フェイスペイントやマスクをして高揚するのは、マゼランが来る前からあった文化が影響している証だという説もあります。セブ島は古くから交易拠点でした。南から移り住んできたマレーシア系の民族や、中国大陸から移住してきた中国系の民族もたくさん。セブ島には中国系セブ人の名残となる建物があちこちに点在します。スペイン撤退後にはアメリカの支配が続き、その影響は現在の生活に大きな影響を与えてきました。複数の民族、文化が入り交じり独特の文化が育った結果、現代の「シヌログ」につながっていると言っても過言ではありません。第二次世界大戦の終了後、再び独立宣言を果たしたのは1946年。アジアを代表するお祭りになったとはいえ、1980年代から進化し始めたシヌログの完成は、まだずっと先の未来なのかもしれません。
※記事内で紹介したルートや時刻、イベント内容は変更される場合があります。
写真提供: シヌログ実行委員会
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